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ロックの部屋

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BEATLES

ビートルズ伝説#1《もうひとりのビートルズ》


先日、本屋さんでマイルズ編の『ビートルズ伝説』を見つけ買いました。彼らについては、すでに語り尽くされていると思いますが、彼らの偉大さユニークさ意外な真実を再認識する意味で、紹介してみます。

1.ポール…「彼からベースを借りて何週間か弾いたこともあった。ぼくはそいつを逆さにして使った。スチュアートは、それにピアノ線を張ってたんだ。」→ポールとスチュアート・サトクリフの接点。スチュアートは写真で見る限り一番カッコイイ。彼は画家でもあり、原作本『バックビート』に載っている油絵は素晴らしい作品です。愛人のアストリッドは写真家でもあり『ウイズ・ザ・ビートルズ』のアルバム写真は彼女のアイデアであることは有名。映画『バックビート』はなんとしても見たい作品です。
スチュアート・サトクリフは、脳の腫瘍が原因で21歳の若さで亡くなった。アストリッドは、現在ハンブルグに住んでいるという。サトクリフの死から半年後ビートルズは「LOVE ME DO」でデビュー。その後の活躍は言うまでもない。  
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ビートルズ伝説#2《命名者》


〔発案者はスチュだった。バディ・ホリー&ザ・クリケッツ(こおろぎ)の向こうを張って「かぶと虫」と名乗ることを提案したのだ。そこにジョンがロックンロールの「BEAT」とみなを「アッと言わせる」という意味の「BEAT ALL」をはめこんで『BEATLES』と命名したのだ。〕→そうだったのか。かぶと虫はよく聞いていた話だったけど、クリケッツは知らなかったな。スチュアートは、音楽以外のところで貢献していたんですね。
ベーシストではあるけど、ジョンにステージでは、弾かずに立っているだけでいいといわれ、グループに加わったのだ。ジョンとスチュアートの友情…ベーシストとしてのスチュはお荷物にしかすぎなかったが、ジョンにとっては、なくてはならない存在だったのだ。
ジョンに影響を与えた【スチュアート・サトクリフ】彼の絵画をいつかきっと生で見てみたいものです。
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あなたはビートルズ派?それともストーンズ派?


あなたはビートルズ派ですか?それともストーンズ派ですか?60年代の2大バンドで、ライバルであった両バンド。両方とも同じ程度好きという人は少ないのではないだろうか。陽のビートルズ陰の
ストーンズ。早くからR&Bから脱却しオリジナルを追求したビートルズ、R&Bを根底にロックンロールを追求した60年代ストーンズ。対照的な彼ら風俗面でも、ビートルズカット(マッシュルームカット)は良いけれど、ストーンズはダメと社会一般の評価も違う。ストーンズ派にとっては、ビートルズの優等生さと甘ったるさが鼻について嫌いな人も当時はいたようだ。
私の場合は、ストーンズも好きだけど受けた影響や曲を聴いた時間を考えると、圧倒的にビートルズ派になる。
初めてビートルズを聞いたアルバムは『オールディーズ』だけど、はまるきっかけになったのは、『ビートルズがやってくるヤァヤァヤァ』日本盤ジャケットはセッション写真で確かステレオバージョン、オリジナルとは違う。このアルバムのA面「ハードデイズナイト」から「キャント・バイ・ミー・ラブ」には衝撃を受けたなぁ。特にジョンのボーカルが切れまくり、「恋に落ちたら」や「アンド・アイ・ラブ・ハー」のバラードの挿入がまた絶妙。ハーモニーも素晴らしいし、かなり聞き込みましたです。
一方ストーンズですが、はまった時期はなくて、本格的に聞き始めたのは『メインストリートのならず者』あたりから。このころからのミックの男っぽさと色っぽさが好きなのであります。60年代の渋さや男臭さがあまり好きではなかったというのが正直な感想。
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『LET・IT・BE………NAKED』


『レット・イット・ビー』の幻のオリジナル・ヴァージョンが11月に発売されるようです。こちらは、プロデュースしたフィル・スペクターがアレンジしたオーケストラや、サウンド・エフェクトなどをそぎ落とした元に近いヴァージョンのようだ。

しかし、この『レット・イット・ビー』はジョン・レノンが出来上がったものを聴いてゲロを吐かずに済んだと言っているくらいだから、オリジナル・ヴァージョンは相当バラバラで出来が悪いものとも想像できるんだけど………。

『LET・IT・BE………NAKED』の曲順は下の通り

1 ゲット・バック
2 ディグ・ア・ポニー
3 フォー・ユー・ブルー
4 ロング・アンド・ワインディング・ロード
5 トゥ・オブ・アス
6 アイヴ・ガッタ・フィーリング
7 ワン・アフター・909
8 ドント・レット・ミー・ダウン
9 アイ・ミー・マイン
10 アクロス・ザ・ユニバース
11 レット・イット・ビー

「ゲット・バック」が1曲目なのを始め違っているので『レット・イット・ビー』とどう違って聞こえるかが興味深い。

「ロング・アンド・ワインディング・ロード」のノンオーケストラヴァージョンは『アンソロジー3』でも聴くことができる。同じものなのだろうか?

「ゲット・バック」はビリー・プレストンのピアノヴァージョンの方か?

「ディグ・イット」と「マギー・メイ」がなくなって「ドント・レット・ミー・ダウン」が収録されている。

『レット・イット・ビー』は初めて聴いた時は、何て散漫で荒削りなアルバムだと思っていたけど、今ではそのあたりの痛快さがとても良くて、好きなアルバムの1つです。

このアルバムの発表の裏にはポールの意向が強いようにも思われる。『レット・イット・ビー』はジョンとジョージがフィル・スペクターに依頼して出来上がったもの。二人がいなくなった今、何の障害もなく発表出来るということなのか?

いずれにしても、どんなアルバムなのか興味はつきない。

買ってしまうだろうな、やっぱ。
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「Two Of Us」
LET IT BE

アルバム『レット・イット・ビー』の中から1曲取りあげてみました。この曲はオリジナル盤では1曲目ネイキッドでは5曲目に入っています。

ビートルズの曲の中では、取り立てて人気があるわけでもないし、名曲でもない。まぁ、凡作の部類に入るのでしょう。でも、詩の内容が当時のジョンとポールの状況を表しているようで興味深いです。ポール・マッカートニー作です。

《当てのない旅をする僕ら二人、誰かが一生懸命稼いだ金を使い、日曜のドライブをする君と僕、たどり着くこともなく、これから帰るんだ、家に帰るんだ、家に帰るね、家にね》

[当てのない旅]とは方向性を見失った分裂状態のビートルズの行く末、[僕ら二人]はジョンとポールで、[誰かが一生懸命稼いだ金]とは、ビートルズを客観的に見た表現で、[金を使い]はアーティスト育成のために多額な金をかけたアップルレーベルの事か。

二人のドライブもどこにもたどり着けず、先が見えず、昔の家【ビートルズ】に帰ろうよとポールがジョンに呼びかけているように聴こえる。

《ハガキを送る僕ら二人、壁に文字を書いて、マッチを燃やす君と僕、カンヌキをはずして、これから帰るんだ、家に帰るんだ、家に帰るね、家にね》

裁判沙汰にもなっていた、当時の解散騒動。[ハガキを送る僕ら二人]とは、裁判所に提出するジョン側とポール側の書類のやりとりにもとれます。[壁に文字を書いて]とはもう話をすることもないジョンとポールの二人。[カンヌキをはずす(Lifting latches)]とは、バカな争いは止めようということか。

既に心はビートルズから離れていたジョンレノン。アルバム『レット・イット・ビー』は「Two Of Us」以外でも「ロング・アンド・ワインディング・ロード」「ゲット・バック」そして「レット・イット・ビー」といった曲は、ポールがジョンに対して最後のビートルズ存続への叫び、あがきみたいのが感じとれます。

この複雑な感情が感慨深くて、私はとても好きなアルバムです。




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ビートルズ『LIVE AT THE BBC』



「ヒョウショージョー、アンタハハルバショニオイテ、リッパナセイセキオオサメテ、ユウショウシナハッタ、ヨッテココニヒョウショウシマス」

今朝の読売新聞によりますと、大相撲の千秋楽でパンアメリカン航空の支配人として優勝力士にトロフィーを渡していたデービッド・ジョーンズさんが亡くなったそうです。お堅い大相撲の世界で唯一笑いをとっていた、ジョーンズさんの関西弁まじりのおかしな日本語は大相撲の名物でした。

そしてその左の訃報欄を見てみたら、こんな記事があってびっくりしました。
《ビートルズの前身バンド、クオリーメンの創設者の1人エリック・グリフィス氏が膵臓ガンのため死去、64歳だった》

びっくりしたのはエリック・グリフィス氏が好きでショックでびっくりしたのではなくて、クオリーメンのメンバーにこんな人がいたのかというびっくりです。(笑)色んなビートルズの伝記物は読んだけどクオリーメンのメンバーにビートルズ以外の人の記述は記憶にありません。

クオリーメンはジョン・レノンが1956年友人を集めて結成したバンドという事になっていますが、ジョンと共に中心メンバーだったのがこのエリック・グリフィスという人らしいです。ポール・マッカートニーがクオリーメンに加わったのが1957年で1958年にポールの紹介で加入したのがジョージ・ハリスンという事ですが、エリック・グリフィスという人は1958年にバンドを離れて海軍(軍隊)入りしたそうです。

クオリーメンはその後バンド名をジョニー&ザ・ムーンドッグス→シルバー・ビートルズ→ビートルズと変わっていきますが、クオリーメンの音源を確認出来るものとして『ANTHOLOGY1』の中に数曲あるようなので持っている方は確認してみてください。ただしエリック・グリフィス氏がまだ在籍した頃の音源かどうか不明です。

私は実は『ANTHOLOGY1』は持っていないので、報告お願いします。(笑)『ANTHOLOGY2』と『ANTHOLOGY3』はあるのですが、すでに持っていた『LIVE AT THE BBC』とさほど音的に変わらないのではという思いで買わなかったのだと記憶しています。新曲の「FREE AS A BIRD」だけでは触手が伸びませんでした。

で、仕方がないので『LIVE AT THE BBC』のレヴューです。このアルバムは『ANTHOLOGY1』発売前に一度廃盤になったのですが、今はまた出回っている見たいです。やはり音的に『ANTHOLOGY1』と被ると判断したアップルが、整理したという事だったんでしょうか?

このアルバムは1994年久しぶりのビートルズのアルバムが発売になるという事で、一般のニュースにも大きく取り上げられて話題になりました。年末だったと思う。秋葉原の石丸電気の前には専用のカウンターがあったのを覚えています。かなり売れていました。ビートルズの公式ライブ音源としては人気絶頂期の『HOLLYWOOD BOWL』がありますが、素顔の生ビートルズを知るのには『LIVE AT THE BBC』ですね。余計な客の歓声がないのでじっくり聴けます。

62年から65年までに出演したBBCラジオでの収録です。スタジオ収録では味わえないパワフルでソウルフルでエネルギーに満ちた曲が満載です。MONO録りなのでよけいそう感じます。大きいホールよりもスタジオライブのような場所で本領を発揮するバンドなんだなぁと再認識しました。

「Sweet Little Sixteen」や「The Hippy Hippy Shake」などのロックンロールのスタンダードナンバーは手慣れた物です。ハンブルク時代に演奏しまくっていたということが分かります。レパートリーの多さにも驚かさせられます。ビートルズのオリジナル盤に入っているカバー曲は選りすぐりのものだというのも分かります。つまらない曲も多いので。

ここでもやはりビートルズナンバーは際だっている。「I FEEL FINE」や「I’m A Loser」「涙の乗車券」などハーモニーワークの美しさはビートルズの曲でしか味わえない。スタンダードナンバーは個人が突っ走る感じですね。グループの整合感でビートルズナンバーです。

この企画が成功したことで、味をしめたその後のロックのアーティストやレコード会社はBBCライブのアルバムを出すようになりました。【レッド・ツェッペリン】や【デヴィッド・ボウイ】も然りです。

エリック・グリフィス氏ですが、1940年生まれなのでジョン・レノンと同級生ですね。64歳でした。ちなみにデービッド・ジョーンズさんは89歳でした。それからビートルズに対抗した【モンキーズ】にも同姓同名のデービッド・ジョーンズがいましたが別人です。当たり前だけど………(笑)

(2005-02-06記)


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